「翼をください」の元ネタは?

「翼をください」の元ネタは?

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「翼をください」の創作背景

「30代前半の頃には年間およそ300曲を作曲していた」と言われている。その中で、山上は昭和45年に三重県で開催された「合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル」において、「赤い鳥」のために書いた曲が「翼をください」である。作曲を手掛けたのは、現在も世界的に活躍する音楽プロデューサーの村井邦彦(72)である。

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